木製脚・脚物家具・木製部品のOEM~丸脚・角脚・金具付・ボルト付~小ロットからコンテナ単位を受注生産~OEMでも短納期

パラウッド開発物語

国内最大手の支援でパラウッドの地位が確立

 

 家具工場としてやっていけると信じた森一郎は、日本の家具メーカー各社に対し自ら営業活動へ赴きました。

しかし、ゴム材は「世界でも最も気難しい木材」と言われ、多くの人が挑戦し失敗を重ねてきた歴史があり、日本の総合商社なども例外ではなかったことから、どこへ行っても相手にされませんでした。

日本の家具業界への挑戦を諦めかけていた頃、この新しい木材に興味を示してくれたのがカリモクグループの当時の社長でした。

業界最大手の社長が零細企業のパラウッド開発を認めるという異例の展開により、この後、世界中でパラウッド (ラバーウッド) が家具として有用な材として使われるようになったのです。
カリモクグループの他、小泉産業、松栄化学工業、朝日特殊合板からも出資を受け、1970年代後半より量産化することができました。

タイ家具工場

24時間体制の頃の朝の体操 (1980年代)

ゴム園の中に小さな工場を設立した頃、

「ゴムの木が家具なんかに使えるはずがない。今にきっと夜逃げするから現金以外ではモノを売るな。」

と地元の住民達から冷ややかな目を向けられていました。

ところが、数年後、田舎町で大きな雇用を生み出せるようになると、当グループの制服を着用した従業員達は町の商店で日用品のツケ払いを許されるようになりました。

ラバーウッド家具工場として成長を遂げた当グループは、最盛期には2千数百名の従業員が24時間体制で生産に従事していました。

現在の当グループの工場従業員数は200名程度となりましたが、元従業員が独立した家具工場など、近隣に多くの木製家具工場が立ち並び、ゴムの木の家具は地元の経済を支えています。